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首里

3月30日(天)

今日は夏日の予報、沖縄各地で今年一番の暑さになるという。照りつける日射し、日焼け止めを塗って出発。しかし、花粉が舞っていないのが何よりである。

宿の奥さんに赤嶺駅に送ってもらう。那覇空港駅が日本最西端の駅ならば、赤嶺駅は日本最南端の駅。

ゆいレールの1日乗車券(¥700)を買って首里へ。この1日乗車券、予期せぬところで大活躍することになる。運転しないから自由に飲めるのもいい。

首里城はメジャー観光地であるが、琉球王朝を知るためにも1度は行ってみたいところ。

終着首里駅から歩くこと15分ほど。県立芸術大を眺めながら進むと、円覚寺跡。沖縄戦で消失したが、正門(復元?)だけがたたずんでいた。横の斜面の上から見ると、庭園の跡(池と橋)があった。

首里城も空襲で焼けたが1992年に復元、その後世界遺産になる。復元とは言え、聳え立つ石垣の壁は圧迫感すら感じさせた。

守礼門のそばに、世界遺産となった園比屋武(そのひゃん)御嶽石門がある。もちろん戦火の被害はあるが、元の部分も残っており、それが世界遺産となった。御嶽(うたき)とは琉球王朝の聖域で、神殿などはなく大木や石、時には山全体が神として祀られていたらしい。

城内には歓会門から入った。入場料は¥800だが、ゆいレール1日乗車券で割引されて¥660。

さて、広大な敷地と迷路のような建物の中、右手の建物(琉球の資料コーナー)から入ったが城と繋がっており、今どこの何階にいるのかすら分からなかった。

ただ、琉球王朝の歴史や当時の文化が詳しく説明されていた。

13世紀頃までは統一した王朝はなく、3つの勢力に別れていたこと。そのうちの1つが他を滅ぼし琉球王朝ができたこと。琉球勢力を広げ奄美諸島も支配下においたこと。1609年の薩摩の侵攻。そして、明治以降の和人の同化政策

しかし、展示物を見れば中国の影響を強く受けており、どう考えても琉球は「日本」ではない。そういうば、市街で右翼が日の丸と米国旗を両方掲げて「沖縄=日本」と騒いでいた。

ただし、言語は日本から来ている(動詞の位置からわかるらしい)ようである。

城の内部はきらびやか(と言うより新しくて風情がない)に復元されていた。

しかし、展示物の殆どが沖縄戦で消失、復元されたものばかりだった。沖縄戦で南部は徹底的に粉砕されたようだ。

ところで後で知ったことだが、首里城世界遺産ではない。建設後100年以上経過していることが遺産認定の条件の1つだが、1992年再建の首里城はそれを満たさない。世界遺産に認定されたのはその不動産(土地)。

首里城自体は世界遺産ではないが、100年以上前からそこにあった石ころは世界遺産ということになる。